夜のてんてき

よるに書く日記

結婚したこれで私は本当にひとりぼっちになった

結婚することになった、前からずっと決まっていたことだけど。

 

家族が苦手だ、多分人類で一番。

最悪の家族じゃない、生活に不満も、破綻もないはずだけど、

でも私は家族が苦手だった。どんな不快な上司よりも。

 

ここ半年と、さらにここ1ヶ月の間に結婚の具体的な話を進めざるを追えなくて、

私はザブザブ流されるように無抵抗に流されていた。

結婚自体はもちろん望んでいたことで、それ自体に何も不満はなかった。

ただ家族と連絡をとらなければいけないこと、そして遠ざかっていく私に

対して両親が諦めの眼差しを向けているその姿を見るのが嫌だった。

 

私は親の期待全てを裏切ってきたのかもしれない。物心ついた頃からずっと遠くに行きたかった。

だから結婚と同時に海外に行ける、そんな旦那がキラキラ輝く大きな船に見えてしょうがなくて、よしその船乗った!!!と半年前までは喜びと自信で胸がいっぱいだった。

 

私が結婚し仕事を辞めるという決断に、両親は心底がっかりしていた。

なんどもがっかりと口にしていたし、突き放すような言葉も言われた。もう思い出せないけれど。初めて結婚の意思を伝えた時に聞いた、母親のつんざくような、泣き声混じりの怒鳴り声、確かそれは「がっかりよ!!!」という言葉だった気がする。

 

私は何を期待され、そして何にがっかりされているんだろう。

 

思い出すと私は両親とまだ川の字で寝ていたような頃から、がっかりした。という言葉をなんども言われた記憶がある。私にとってどうでも良かったバカみたいな数学の宿題をズルして終わらせたのがバレた時なんて、

娘が大犯罪を犯したかのように父と母がダイニングテーブルで落胆している姿を見せられた。深くため息を吐いて、私のことをちらとも視界に入れない。二人の姿を覚えてる。その頃から私は、両親を話の通じない大人のうちの2人に入れるようになった。

 

 

彼の両親と、私の両親で顔合わせをしなければいけなかった。本当に嫌だった。自分の親が恥ずかしかったから。いつも不機嫌で私を蔑んでる。

 

「期待してないですから」私たちが式を挙げないことを伝えた時に私の両親が相手方の両親に向かって言った言葉。

「寄り付かないですから」私が保証人を近所に住む友人に任せようかなと言った時の言葉。

 

私ってそんな風に思われてるんだって思った。

期待してない、期待してないと言われて傷ついた。寄り付かないと言われて悲しかった。

 

期待してないってなんなんだろう。それならばなぜ怒鳴ったり、わざと残念なため息をつくのだろう。その言葉を繰り返すのだろう。全てが私にとっては攻撃だった。

 

 

ここ1ヶ月ほどひどい孤独感に襲われていた理由がわかった。結婚するからだ。私はもう結婚したら全てを諦められる。

でもずっと逃げたかった。逃げ切ったのかもしれない。私はもう本当に家族じゃなくなってしまう。きっと何があってもこう言われる「結婚したのはお前だ」「自分が選んで出て行った」「お前にはもう新しい家族がいる」

 

旦那は契約を結んだ他人でしかない。旦那は親じゃない。旦那の人生と私の人生は、近いようで消して交わらないように感じる。でも親や家族はその例から漏れる唯一の関係だと思っていた。でもそれももうおしまいだ。なぜなら私が選んだから。遠くに行くことを。

でもどうしようもなかった。私はついに家族を失ったって思った。

 

私はこれで本当に野良犬みたいにひとりぼっちだ。本当に寂しい。

もう何も思い出せない。孤独に底はない。宇宙みたいに広い。いつも周りの星が眩しくて涙が止まらない。私はひとりぼっちになった。

 

日記7 フォローアップバレンタインと生活の補完

 バレンタインを渡すことができた。

 

丁度1週間後の木曜日に渡した。

落ち込みきっていた気持ちが週明けからじわじわと回復してきて、木曜にはチョコを渡そうという気持ちになるぐらいになってた。

まずは手始めにと思って、愛してやまない恩師と、チャーミングな上司のデスクにチョコをおいてきた。事務用の付箋に1週間遅れだけどバレンタインですよと書いて。

 

大好きな人には最後の最後まで渡すことを悩んだけど、でも素敵なチョコを買ってしまったので、1人ではとても供養しきれなくて、持っていたくなかったから渡すことにした。人が少なくなった夜、慌ててフロアをでるふりをして残業してる彼の脇からチョコ!と叫んで渡してきた。目を合わせられなかったから彼が振り返るより前に体の向きを変えて扉に早歩きした。後ろから彼がいつもより少し声を張って「お疲れさま」と言ってくれたのが聞こえた。

 

チョコを渡せた週末にお参りに行った。2年ほど辛い日々が続いていて、なんとか打開するきっかけが欲しかった。それから恋愛も、相手が誰であれ何か実りが欲しかった。朝早起きして神社に行って、ドキドキしながら境内でゆっくりした。バカだからお守りを3つも買った。1つは枕元に、1つは財布に、1つは鈴らん模様のポーチに。

とにかくそういう気分だった。苦しかったし解決したくて、お守りがたくさん必要な毎日だったから。

 

お参りに行ってから毎日が改善したなんてことはもちろんなくて、今日も食べては行けないと思いながら甘いものを過食してしまったし、それを吐いた。会社でやる気出なくて漫画読んだりもしてた。社会人として0点の日だったけど、もうやる気ないし帰っちゃおと思って降りたら恩師に会うことができた。いつも私から気づいていたけど今日は向こうがリアクションしてくれて、心なしかいつもよりちょっと甘く接してくれた気がした。お互いに人見知りで間が持たないと、おかしくて2人で笑ってしまって、その2秒ぐらいの時間が私はすごい好きだった。デスクに置いたバレンタインのチョコの話は全くしなかったけど、恩師のそういうところが好きだし、自分のそういうところも好き。

 

 

帰ってきてから、夜お弁当用にゆで卵を茹でたら、殻がすごくうまく剥けた。

ここ最近ゆで卵の殻がずっと剥けなくて、ゆで卵暗黒期だった。久々にすごくうまく茹でることができてすごく嬉しかったしお参りに行ったご利益がじわじわ効いてきたんだなーって思った。

 

会社で生産的な時間を過ごせないまま帰ってきて、でも家を片付けたり料理をしたりするとすごく落ち着くし何かができた気持ちになる。ここ1年、デザイナーとしての成長は全くなかったけど、スローライフを送る人間としては完成度の高い生活を送れるようになってきたとおもう。デザイナーとして成長したいけど。

日記6 美術館の通い方

休日に美術館に行った。

美術館にはもう2年ぐらい遠ざかっていて、美術を仕事にする人間として失格だと罪悪感を抱えていたけど、なんのきっかけもなくただ、「あ、この展示行きたいなー」と思って足を運ぶことができるようになった。

自分の好きなことを真っ直ぐに仕事にしてしまうと、好きなことに義務感が付随してしまうことがどうしても避けられない。けど美術館なんて行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなくていいと思うことにした。そう思わなくたって行きたくないときは行けないしね。

 

美術館ってどう絵を見たらいいのかわからないってたまに言われるけど、私はすごく適当に見てる。ふーんって思いながらサクサク進んで行く時間がほとんどで、でも本当にたまに「これは!」と思う好みの絵があったりしたら立ち止まるぐらい。美術館に飾ってある絵が全部良いなんてことはなくて、たまたま評価されるきっかけがあった運ある人の作品が飾ってあるだけ。

だからファッション誌めくったりジャンプ読んだりするみたいにパラパラみればいいと思ってる。好きなものに出会えてそれを見てなんかテンションが上がったら気持ちいいし、あと展示空間って基本的に綺麗だからそこに立ってるのが気持ちよかったりする。森林浴するために森の中とか公園歩くみたいに、美術館の中歩いてるんだと思う。

絵の良し悪しなんてわからないし、好き嫌いだけの判断で私は十分だなーって思う。

 

プーさん展とか人が集まる展示に行くと美術館周り慣れてない人が、1枚1枚絵を見ようとして列になって溜まってるけど、混んでる絵は飛ばして後から気になったら見に戻ればいいし、仰々しい気持ちでまわるより、まじこのプーさんカワイイー!このプーさんはブス!って思いながら見るのが私は楽しい。

 

 

先日は国立新美術館で展示を1時間弱ぐらいかけて見た後、青山のZARAHOMEに2時間以上いた。だって買い物の方が楽しいし、家に持ち帰るものを選んでるわけだから美術館の絵を見るより時間かかって当たり前だよね。

こういう気持ちでまた美術館に適当に通えるようになって嬉しい。

 

 

日記5 

バレンタインの話。

 

 

先々週末に私は何時間もかけてバレンタインのチョコレートを選んだ。全部で5つ。全部のチョコが隅から隅まで本命で、あげたい人の分だけ、あげたい人にあげたいものを選んだ。1つは恩師に、2つ目はチャーミングで可愛いおじさまに、3つ目は付きっ切りで私のお世話をしてくれるスケべな上司に、4つ目は私を守ってくれる優しい上司に、5つ目はいつも私の頭の中をいっぱいにしてくる大好きなあの人に。

でも結局私は今年のバレンタインをふいにした。

 

バレンタインの日私は会社に行かなかったんだ。でも行かなくて良かったと後から知った。

彼は、当日の夜、私の知らない女の子とご飯をしてチョコをもらっていた。そんなちゃんとした、食事付きの100点の楽しいバレンタインの夜のおまけになるなんて絶対に嫌だったから、あげられなくて正解だったんだと思う。

もちろんその人と彼が付き合ってしまうかなんて私にはわからないけど、でもやっぱり私の知らない世界で、私の妄想が及ばない距離に、彼の人生があるんだって思うとすごく辛かった。当たり前すぎるけど、でも近くにいてほしい、同じ世界に住んでいたいっていうのが恋愛感情だから。私は普通に、真っ当にショックを受けた。ちゃんと恋してたから。

 

先週の頭、私は会社で1人でパニックを起こして1週間丸々会社を休んでた。

それがバレンタイをふいにした理由。

会社に毎朝全休します。全休しますと送る作業だけして、あとは寝ていた。時々ふいにどうしても気持ちよくなりたくて、美味しいご飯を作って食べたり、高いものを買いに行ったりした。能動的なことを何もしていなくても、買い物やネットで常に刺激を絶え間なく送り続けることができるから、今ってすごくつらい。

 

玄関に置きっぱなしになっているチョコレートの紙袋と目があうとすごく苦しくなる。ネットのホワイトデーの記事を見てもムカつく。

 

私は彼が自分に気がある気がしていた。本当に好きなんじゃないかって思うときが良くあった。でもそれは本当に気がしていただけだから。ロマンチックな妄想の世界に住んでいたのに、ふいに一番おきて欲しくなかったことがおきちゃった。あの時の仕草や、空中でかわしていた視線の長さは?って恨めしくなる。

 

来週会社に行きたくない。仕事をサボった後ろめたさじゃなくて、彼に心配されたいから。私に元気がないって気が付いて欲しい。向こうから連絡が欲しい。

 

馬鹿だけど本当にそんなこと考えてる。どうしたらいいんだろ。

手を滑らせて、私あなたのこと好きだよって送ってしまいそうぐらい馬鹿になってる。

日記4 

年末年始のことを何も書き留めていなかった。

いつも目の前を見ているようで見ていない。人生を生きていない。という映画の中の悪役の台詞が頭に残った。

 

年末はなるべく実家に帰りたくなくて、31日の夜まで家にいた。溜めていた洗濯をしたり、買ったまま半年も植え替えずにいた植木を植え替えた。

今は植え替えの時期ではないとネットで知ったけど、かさかさになって水を吸わなくなった土が気がかりで、どうしても変えたかった。ふにゃふにゃのプラスチックポットの中でミミズみたいにみずみずしい根っこがかたく伸びていた。

 

洗濯をしたり、買い物をしたり、掃除をしたり、物を捨てたり。創作活動以外の、ありとあらゆることをした。この1年、私は頑なに創作活動から逃げていた。理由は明白で、ただ怖いからだった。

 

去年の夏、会社のデスクに座っていると動揺が収まらなくなった。私は社会不適合者なんだって思い込みを形にしたくて、ADHDの診断をもらった。自分がADHDかどうかなんて、本当にどうでもよくて、でもただパニックを起こしては、薬を飲んだり、お酒を飲んだり、タバコを吸ったりした。時々食べ物を吐いて見たり、知らない人に若いからだを提供した。私は人と違うっていうことを、自分のために演じて見せているようだった。きっとそうだった。

 

流れに逆らうことに必死で、苦しかった。高校の時や、大学入学したての時を思い出した。生きるのって難しいよねって、毎日のように自分では思っているけど、人から言われると何だか殴りたい気持ちになった。何だか私は1年間、地球以外の何処かで生きていたような気がした。いつも不機嫌で、何かに不満を持って、不安を抱えていた。

 

私はなんとかなるって自分に言い聞かせながら、毎日繁華街をふらついているだけの年始だった。創作をしていないと異様にお金が減る。自分を過信してはいけなくて、でも過去を後悔してもいけなくて、現在の現実を、フィルターなく見つめること。でもこれがどうしてもできない。なぜだかわからないけど。

 

 

 

 

 

 

 

日記2 ポーチのふくらみ

今日は昨晩から眠らずに夜通し映画を見ていた。

 

華やかにオールをして遊んでいたという友人から明け方にラインが来た以外、あるいはそれを含めても面白い夜じゃなかった。

 

恋愛相談を誰にもできない。職場の人にはもちろん相談できないし、だからって学生時代の友人にわざわざ自分の今のしどろもどろっぷりをひけらかして可愛い年齢じゃない。他人の恋愛話で大喜びしてくれるのは高校生までだったらしい。

それ以降はみんな恋愛は黙って黙々と、そしていたって順調に進めているようだった。私みたいにワーワーと慌てふためいて、出会い系チャットで知り合った男の人にラインで相談したり、占い電話を使ったり、ブログを書きなぐったりしない。

 

まだ残された2018年の3日間、いつだっておしゃべりができるライン上で「良いお年を」と今年のコミュニケーションを締めくくられてしまった。圧倒的に悲しい。あけましておめでとうなんて送り合うはずもないから、会社が始まるまで全てがお預けか。と思うとなんだか悪さをしたくなって、今朝方突然チャットで捕まった男の人と寝て来た。新宿で早朝に待ち合わせ。そのままホテルに行って10時代に解散した。

 

本当に久々に体を使ったから、帰宅すると下着に血がついていた。

相手は痩せ型の男性で、同じく痩せ型の彼のことをふっと想像するとものすごく興奮した。やっぱりエッチは好きな人としたいと思った。裸をみたいし、私の裸に触って欲しかった。初めての人とのえっちは今でもいつも恥ずかしい。だから恥ずかしがっている私を見て欲しい。歯切れの悪いいちゃつきを彼としたい。ベットの中で、焦る彼の手を制止するように手を握る私の掌を愛おしんで欲しい。今日は朝シャワーを浴びたから、肌からまだ甘いボディークリームの香りが漂っていて私の肌は最高潮だったのに。

 

 

会社の締め日だった昨日、生活がぐずぐずになっていて昼過ぎに出社した。打ち合わせで脳を疲労させた後、17時から17時半まで私は口紅を塗り直すことと不慣れなフレグランススプレーを吹きかけ直すのに右往左往していた。いつもスカスカのポーチがこの日だけ化粧直し用の化粧品でパンパンだった。

彼が来る。私がそう頼んだ。見せて欲しい資料があると伝えた。彼はお願い事や頼みごとをすると、恐ろしいぐらいに応えてくれる。その対応で私は余計につけあがる自分を抑えられない。だってネットにお願い事を張り切って聞いてくれるのは脈ありって書いてあるから。

 

やって来た彼が当たり前に私のデスクの横に腰掛ける。私はそれだけで嬉しい。数ヶ月前までは所在なさそうに寄りかかって立っている彼を見上げてお喋りしてた。しばらくすると彼は立ち話を諦めてリュックを背負ったまま椅子に座るようになった。そしてつい先日から、慣れた手つきで荷物を降ろしてストンと深く腰掛けるようになった。私の隣の席に。

 

男の人は支配欲が強いらしいけど、多分私も負けじと強い。人差し指と比べて薬指が圧倒的に長いからかもしれない。私の隣の席に、わざわざ腰掛けてくる彼が、もうとっくに自分のものだと思えてしまって仕方がない。近隣で一番、この猫に懐かれてるのはこの私だって、そういう気分になる。だってみんなのデスクの横に、この子こないでしょって。

 

絶対的に見ても見なくてもいい資料をわざわざ見せてもらう。別にデータを送ってもらえば済むし、適当でいいんだよそんなのと言われればそれで済むレベルの、本当にただ会いたいがための口実だった。(「年始に出さないといけない、この書類どうやって作ってるか、見たいです」私がこんな、あざといOLになるとは思わなかった。)会って、近づいて、わざわざ話す口実を作っただけ。彼だって本当はわかってるんじゃないか。わかってても見せにきてくれるんじゃないか。それとも本当に私が困っていると思ってくれているのかもしれない。でも前者後者どっちだとしても、私は彼の好意を感じずにはいられない。すっかり付け上がってるから。

 

会話はいつも彼が大抵聞き役だった。私は聞上手な彼に比べて圧倒的に質問も返答も下手くそだ。会話の端を拾い上げて質問にして返す。

モテるための技術として取り上げられているその会話術を何度読み返したところで、全く身につかなかった。

 

ここ1ヶ月、行き帰りの電車の中で、「脈あり男性の仕草」を延々と読みふけってはマルバツをつけて一喜一憂するのが日課になっていた。そんなことをし始めるともう収集がつかなくて、あとはもう彼の一挙一動にこれは脈アリの兆候かもしれない、いや無しかもしれないと過敏になって、それをジャッジするためにネットや顔を知らない出会い系チャットのおじさんたちに「ねえねえこれは脈あり?」と聞き込み調査をする哀れっぷりだった。

 

重たい扉を、私が通り抜けるまでできる限り支えておこうとしてくれるのは脈アリ?

帰り道、線の違う彼が私の線の改札ギリギリまで寄ってくれるのは脈アリ?

頼ると全力で応答してくれるのは?

ラインがこの間1時間も続いたことがあったのは?

でも絶対彼からラインがくることがないのは?

 

1日ずっとこの調子だった。

 

見ても見なくてもどっちでもいい資料のお手本を見せてもらってから、私は彼が帰るのを待った。もうこれ以上暇が潰せないやと判断した時、私は帰りましょうと誘った。何度か、わざと残業時間を合わせて帰った前科もあるけど、彼が帰るよと声をかけてくれた時もあった。いつでも分かれ道で別れることができるし、帰りましょうという私の誘いを断ることもできたけど、でも私の改札までの短すぎる道のりを、ぼんやり一緒に歩いてくれるだけで私は嬉しい。もしかしたら全部全部が私の妄想かもしれなくても。

会社の脇のイルミネーションの中を通る時だけ、毎度無言になる。華やかな場所を嫌う私たち2人が、街の喧騒を無視するという行動を共にしている。イルミネーションを馬鹿にするんじゃなくて、ただ無言でそこを通り過ぎる儀式が、私はなんだか好きだった。

 

やめればいいのにクリスマスに電話占いをした。馬鹿だし病んでたから。

占い師には彼には4月ごろ告白されます。でもおつきあいするまで2人で食事に行くようなことはない。彼はそういう人です。と言われた。でももしかしたら今日は、占い師の予想が外れて、2人で食事ができるかもしれない。そう思った。そう思ったがゆえの化粧ポーチのふくらみだった。でも結局私は2018年中に、彼と2人で食事をすることはなかった。

日記1 受話器で声を隠して

 今日は会社をサボった。

目が覚めたら12時で、予定も何もないから東急ハンズに行って土と植木鉢を買った。

夏前に買った観葉植物をビニールポットのまま育てていて、自転車を買うよりも新しい財布を買うよりもまずは植木を植え替えないといけないと思ってたから。

でも鉢底用のネットと軽石を買い忘れて、しかも元気のない植物を、この寒い時期に植え替えていいのかってやっぱり不安になってとりあえずやめた。

年末までにまた東急ハンズに行けたら、ネットと軽石を忘れずに買って植え替えてみる。

 

 

最近本当に久しぶりにだけど好きな人ができた。

1年前のクリスマスにちょうど振られてから1年間、あっという間にすぎた。

前付き合っていた人は恋愛をして付き合ったわけじゃなくて、付き合ってから恋愛した。それまでは本当に友達かそれ以下だった。だからこうやってバカみたいに「ああ好き!」と大騒ぎして、なんとか距離を縮められないかと試行錯誤するのは、ほぼ始めてのことだ(青春未経験)

 

今同じ職場に好きな人がいる。ずっと前からの知り合いで、でも急に好きになった。

紙の日記によると(紙の日記とブログって一体どう書き分けたらいいの)

8月23日木曜日に恋に落ちている。

電話しながらフラッと近寄ってきて、私のデスクに寄りかかりながら電話を続ける彼と目が合った時、ガランっと心臓が落ちる音がしたと書いてある。

 

私はその時のことをよく覚えている。確かに心臓が5センチ〜10センチ落ちた。その時確かに、岩か金属が、落ちたみたいな衝撃と音が、体の中に響いた。

 

彼はよくうろつきながら社内で電話をかけている。誰よりも声を潜めながら、さらに人が居ない場所を求めて歩きながら電話をする。その日は確かもう人が少なくなった夜だった。終わりのめどがついてきた電話を耳に当てながら、私と視線を合わせながらゆっくりと近づいて、私のデスクにもたれかかる。

そして電話が終わるまで、私たちは奇妙に時間を共有する。

電話の最中、何度も目を合わせる。彼は電話越しの相手に仕事の指示を出しながら、じっと無表情にこちらを見てくる。私も負けじとじっと見つめ返す。人見知りに輪をかけたような2人が、無意味に視線を交差できる瞬間。暇な電話の最中、会話の義務から逃れて、視線と空気と時間を共有する。

その間私の頭は空白で、視線だけ空中と彼の輪郭を行き来させる。彼の視線がこっちに向いていない間は、スケッチする時みたいに彼の形をどんどん吸収していく。見上げた時の顎の曲線。一見細く見えて実はしっかりと縦幅のある目。ああ私この人の造形やっぱり好きだなって、削った鉛筆の代わりに視線を走らせる。

 

8月23日までは恋に落ちていなかった。だからなんの迷いもなく彼に近づいたし話しかけられた。でもガランと音を立てて私の心臓がどこかに落下してしまってから最近まで、彼の一挙一動に舞い上がったり落ち込んだりを繰り返した。アプローチしては離れられて、離れては近づかれる。人嫌いな野良猫を飼いならすまでの攻防戦だ、これはゲームだと自分を励ましながら過ごした。日記もバカな中学生みたいなことしか書いてない。恋に落ちると人はチンパンジー並みの知能になることが科学で証明されているらしい。

8月23日以前の方が、うまくアプローチできていたと思う(アプローチのつもりはなかったんだけど)そのアプローチの貯金が、少しずつ効いてきたのか、それとも彼の不安定な態度に動じない私に対して警戒心が無くなったのか、距離を故意に作られることが無くなったと思う。何がきっかけかはわからないけど、アプローチしたところで突き放されることは無くなった。

 

 

tofubeatsのRIVERとHYの366日とフジファブリック若者のすべてをずっと聞いてて我ながら頭が沸いてると思ってる。