美術系女子の話

美術系女子の苦悩系ブログ/日記と怒り、セックスと家族

出会い系のメッセージで話すべき話題〜無駄なやり取りはポイントの無駄〜

最近出会い系活動を再開して頑張ってます。私が出会い系をやるのは、なんか暇・誰かに構ってほしい時、あるいは本気で新しい出会いを探している時です。そして今は後者。先日超大絶賛した出会い系アプリタップルと、イククルで知り合った数人と今のところラインでやり取りしていますが。

 

まあまあまあつまらないやりとりが多すぎる。つまらないというか無駄。

みんな出会うためにやってんでしょ?ラインするためじゃないでしょ?出会うまでの道のりを自ら遠のかせるようなおしゃべりいつまでしてんだーっつー話です。

 

もっともよくあるグダグダ話はこうです。

 

・大学でどんなこと勉強してるの(だるい

・今なにしてるの?(だるい

・今◯◯してきたよ〜(どうでもいい

 

とにかく私が主張したいのは、実生活の話や本人の話はあとからいくらでもやりゃ良いんです。ラインは親交を深める前に、まず出会うまでの段取りの一つとして有効活用すべきなんです。実生活の話なんて後で良い、逆にラインでグダグダ話しすぎると実際に会った時結局ラインと同じ話題を繰り返すことになり「あ、そういえばラインでそう言ってたよね・・・」の連続です。それにライン交換をしてから出会うまでのスパンは短い方が実際に会える確立が早いです。ぐだぐだいつまでもつまらないやり取りをすればする程会える確立は減っていくと思ってください。最低限の会話をしたら、すぐに具体的な待ち合わせを決めるのがオススメです。ぐだぐだやってっとつまんねー男だというのがバレて会ってもらえなくなると思いましょう。

 

では会うまでの段取りとしてメッセージ交換あるいはラインを有効に活用するため、私が提案する最低限これさえあれば!という話題は以下です。

 

・なんのために出会い系を始めたのか

・過去出会い系で会った人とは何をしたのか

・どんな関係を求めているのか

・最初に会ったら何をしたいのか

 

私は大概、つまらないお話を中断して男性にこれを聞きます。というのも、私の目的がハッキリしているからです。それはSEX。ただそれだけ。だから相手が何を求めているのか、つまり何目的で出会い系やってんだってことを直球で聞きたいんです。相手が私とヤル気があんのかどうか?もちろんすぐに「ヤリもくです」と白状する人も入れば最後まで濁しきる人も居ますが、たいがいこの4つの質問をすれば相手の目的は薄々わかります。

 

大概出会い系に登録してる人なんて9割ヤリ目的だと私は思ってます。でもとにかくなんかしら目的があって出会い系をしているわけですから、お互いの目的が一致しているかどうかを確認する、つまりお互いの目的が果たせる出会いであるかどうかという確認と、実際に会う気があるのかという確認が最優先です(本気で出会いたければ)

 

例えば婚活合コンやお見合いだったら、相手に結婚に求めるものは何かを聞きますよね?それはハッキリと「結婚したい」という目的があってそういう場に足を運んでいるからです。結婚できそうか否かを見極めなければいけない相手を目の前にしていきなり「学生時代なにやってたんすかー」と話しても無駄!!そういう話はお互いの結婚に対する意志を確認した後で良いとおもうんです。出会い系だってそれと同じです。出会い系はしゃべり場じゃないです。婚活パーティーの開始3秒間ぐらいのものだと思っていいと思います。なにも始まっちゃいないんです。

いきなりグダグダと「サークル入ってんの〜〜?」「今なにしてんの〜」なんて話しても無駄です。せっかくヤレる女子大生である私とライン交換してるのになんて無駄な時間を浪費しているんだろうこの大人たちは・・・・と思いながらラインをみつめている日々です。ぐだぐだ話をされればされる程返事の速度は遅くなります。

 

もちろん、出会い系にはただ男性に奢られたいだけの子や、ただほんとになんとなくラインでやり取りしたいだけの子、出会っても別にSEXする気はない子はいくらでもいます。でもだからこそ、真剣に「お互いの目的が一致するかどうか」をすばやく見極めることをお勧めします。

そもそも食事だけしよ、なんて言っておいてあわよくばを狙うのは間違ってる。ほんとに食事だけのつもりで会っている女の子にとっては、食後になんかごにょごにょしだす男を見るのなんて不愉快の極み。私も一切そんな話していなかった男の人に、さあ帰ろうという時に突然抱きつかれたりキスなんかされたときにゃあもうテンションダダ下がりだし「コイツとはもうぜってぇ会わねえ」と思います。

「なんのために出会い系をしてるんですか」「会って何をしたいですか」をお互いに確認し合い、目的が合わないならもうそこで終わるべきです。

 

もっと言うと、プロフィールにきちんと目的を書くのが一番の方法です。飲み友達が欲しいひとはちゃんと飲み友達がほしいって書いてあるのに、ヤリもくの人はなんでヤリもくって書かないのよ!絶対損です。もちろんアプリによっては下品なワードをプロフィールに入れることが禁止されてるものもありますが、自分の目的を臭わせることは可能です。プロフィールに直接的なことを書くと女の子が寄ってこなさそうと思ってる人もいると思いますが、むしろきちんとヤリもくを白状しておけば私みたいなエロ女が反応します。実際、私が過去に出会った人たちはほとんどエロ目的ですというのをプロフィールにきちんと書いていた人です。きっとヤリもくなんだろうけど、遠回しな会話から始める人とはあまり会う気にならない(なんでかは不明)。SEX目的であろうとなかろうと、相手や、その出会いに求めるものの内容は、きちんと書いておくのを絶対的にお勧めします。もし、どんなに効果的なプロフィールを書いても、イイネを送った女の子から反応が皆無という場合はもう写真がアウトということです。撮り直しましょう。

 

下ネタを話したり語尾に♡マークをつけてもなんも意味ありません。ヤろうよアピールにはなりません。いい人ぶらずにヤリたいならヤリたいとさっさと言えやオラ。というのがこの記事で言いたいことの全てです。あわよくばなんて考え捨ててエロ女を捜そう。ヤリもくの女に向けたプロフィールを書いた方が、エロい女とヤれますよ♡

 

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広告という仕事に対する漠然とした嫌悪感

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美大、とくにデザイン系を選考する人間にとってやっぱり大手広告代理店というのは華々しいエリートコースです。バリバリ課題をこなしストイックに作品と向き合う、そんな優秀な学生、あるいはアートディレクターという響きに誰よりも執着心のある学生がそういうところに就職出来るのかなーというのが一介の美大生としての意見です。

 

私はというとほんの少し前までは当たり前にそういうエリートコースを進む自分の未来を想像してきました。小学校も中学校も高校もあんまりうまく通えなかったコミュ障人間が、そんな大手バリバリイケイケ広告代理店に務めるなんて今思うとちゃんちゃらおかしいことではあるんですけど、でもその未来を疑っていなかったんです。作家になるなんてあり得ない、ましてやアーティストなんて論外中の論外。エリートになる以外に生きる道はないと本気で思っていました。

それはなぜかというと、私には、バリバリキャリアウーマンになるという重い使命があったからです。好きなことを仕事にしてなおかつお金を儲けるスーパー自立女になることが、私の人生に置いて絶対的な使命でした。でも最近になってそういう、頑だったはずの未来像が砂のようにサラサラと崩れていったのです。

 

私がキャリアウーマンにならなければ行けなかった理由

bijutsukeijoshi.hatenablog.com

 

 

私が本当にドキドキとときめきながら、つづけられることっていったいなんだろう。

私は、美大生としてはエリートじゃない、というのも普段からそんなに絵を描きまくって生きて来た訳じゃないし、デザイナーやアーティストという職業の存在を知ったのも本当に美大に入学する直前のことでした。だから昔からアートディレクターになりたいとかデザイナーになりたいと思っていた訳じゃなくて、自分が好きなこと(モノ作り)でなおかつエリートキャリアウーマンコースとは?と絞り込んでいくと広告という選択肢が残ったんです。本当にただそれだけの理由で広告業界一択〜〜と思っていました。

そしてみごとにそのイメージがサラサラと崩れた。むしろこんなに早い段階で崩れてくれて良かったと思っています。美大ってすごく専門的だし、美大に入ったらすごく将来が絞られると思っていたんです。でもむしろその逆でした。美大に入ってみたら、将来の選択肢がぐんと広がったんです。好きなことをして生きて良いんだ、美大という環境は私にそれを教えてくれました。

 

広告という仕事に嫌悪感を持った

いつかS子に「やっぱり広告好きじゃないかも、わたし」という話をしたら「でも絶対に好きなことを仕事にする必要もないなって最近わたしは思うのよ」と予想外のことをいわれてすこしだけシュン・・・としました。そうかなあ。私も好きじゃないことを仕事にできるかなあ。

 

私が、うーん、広告、なんか嫌かも、と思いはじめたときのことを書きます。

 

まず、地方創世とか、被災地復興とか、子供のためのワークショップ!とか、そういうの、美大にいると嫌って程耳にします。イキイキした、新鮮な水に飢えている魚みたいにピチピチしたクリエイター系大学生たちが、子供のため!とワイワイしながらワークショップ作りで徹夜をする。そういう雰囲気が嫌いなだけと言えばそれもあるけど、なんか、地方創世とか、被災地の為とか、子供のためとか言って、結局はそういう看板をぶらさげながら、自分たちの表現の練習の場に使ってるだけじゃんというのが私のそのときの感想でした。

でも広告って結局そういうことです。新しい価値をつくろうって言って、なんかようわからんけど人のためっぽいコンセプトをはっつければ、広告作りやマーケティングって出来ちゃうんです(もちろんプロの世界では通用しないと思います)。だから大学の、デザイン系の課題の展示を見ると、あきらかにこんなん世の中に必要ないやろ!っていう意味不明なコンセプトのレストランの綺麗な店舗イメージとかが、さも世の中にとって価値があります!みたいな内容のコンセプトボードとともに並べられてるんです。そんでもって今っぽいデザインでかっこよく作られてれば、クオリティたけぇ感じに見えるんです。

 

なんかそういうの嫌でした、子供のためとか、◯◯のためとか言っておけばしょうじき何でも作っていいのかよって思いました。もちろん課題ですから、それはあくまで架空の話ではあるけど。

マーケティング系の課題の課題文を見ると、新しい価値新しい価値って書いてあるけど、私この世にもうこれ以上必要な物なんてないじゃない!ってうんざりしちゃう。結局、ぜんぶぜんぶぜんぶ嘘。

子供の為のワークショップじゃないです。自分たちの表現の練習と、就活のポートフォリオのための数稼ぎワークショップに子供の笑顔っていう画を引っ張ってきてるだけです。こんな意味不明なコンセプトの商品、この世にまったくいらないってわかってるのに、でも奇をてらう為にそうやっちゃってるだけ。別に広告ってそういうもんだと思ってる訳じゃないけど、でも大学時代にそういう嘘のものを作ることに心血を注いだ人たちが、大手広告代理店に就職していくのだと思うと、なんかもうダメでした。

 

私はもうダメでした。

 

広告、マーケティングの次はパッケージデザインもダメになった

たっぷりとインクを乗せられた、煌びやかな分厚い箱の軍団。

パッケージデザインの授業の作品を見てると、だんだん目眩がしてきました。

「ね!私すてきでしょ!」「いいものに見えるでしょ!」「こういうの、買いたくなるでしょ!」

陳列された、こってりした架空のパッケージ全部が、エサを欲しがってピーチクパーチク鳴きわめいてるひな鳥に見えた瞬間がありました。ああうるさい、、、その場で耳を塞ぎたかった。崩れ落ちそうでした。

 

大学に居るとね、マーケティングや広告デザインの課題作品の方が、他の作品たちよりなんかクオリティが高く見えるんです。それは優秀な人がみんなマーケや広告の授業を選択するからだと思ってました、でも多分違います。マーケや広告デザインって、それっぽく作るのが簡単なんです。例もたくさんあるし、デザインの流行がわかりやすい。奇をてらって、制作時間さえしっかりかけて、ポスター、店舗の模型、梱包材、看板。数を出せば、いいっぽいものができるんです。

こんなこというと怒られるかもしれないけど、これはあくまで私の仮説です。もちろん世の中で活躍しているデザイナーさんはすばらしいしいわゆる大手広告代理店にアートディレクターとして就職できる人は、そういう表面的な子器用さで就職してるんじゃない。それ以上のものを持つ人が就職出来てるんだと思います。でも中にはそれっぽいものを作れるだけの人なんてわんさわんさと居るんです。私はそうなりたくない。私は自分がそういうものを作って、シアワセな気持ちになっている姿が想像できなくなってしまった。

 

こんな風にぐるぐると、自分はどこに進むべきか最近はなやんでばかりでした。

そんなときにこの記事を読みました。

 

広告クリエイターという仕事は、なんだかとても「もてはやされ」ています。それがとても不思議でした。なぜなら広告クリエイターよりも、メーカーの人たちのほうがよほど「創造的な仕事」をしているように思えたからです。 

広告は、他人のお金で、人の意思の範疇で何かを作ります。金銭的なリスクもなければ、責任をとることも稀です。極端な話「当たれば広告のおかげ、外れたら商品のせい」にできてしまう世界です。もちろん素晴らしいCMやグラフィックを作るひとはたくさんいたし、それはものすごい才能と努力の賜物です。だけど自分のリスクをとって、ゼロからものづくりをするひとに、より強い憧れるようになりました。

 

 

広告の世界って本当に華やかなんです。カッコいい。でもなんか、だんだんそのことについて悩むようになりました。実際に広告業界にいた方の意見を聞いて、私がなんだか飲み込めなかった広告という仕事のイガイガ感が、すこしずつ具体的になってきました。広告という仕事のことを批判したいわけでは決して無いです。自分が、どんなふうにモノ作りという力を活かしていきたいのか、あともう少し、悩んでみようと思います。

 

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私達は技術者になりたくて美大に通っているんじゃない。

私達は技術者になりたくて美大に通っているんじゃない。

私は、無論、文章以外でも作品作りをしています(それをここで出す気はありません)、作品を発表してると、時々こういう声がかかる訳です

「◯◯さんの作品大好きです。今度、こういう色でこういう雰囲気で、このモチーフをつかったこれを作ってほしい!」

私はまた「あっ」と思います。ズレです。

こういうときの私の正直な気持ちはこうです

「私の作品好きって言っておきながら、結局、自分が欲しいものを作れそうな私に声をかけただけじゃん」

こういうときは私は、やっぱり私は技術者になりたいわけじゃないんだな、って思う訳です。物作りには色んな形があります。伝統工芸、工場の技術者、デザイナー、大工、上げきれない程の職業が、「モノ作り」という大きなくくりの中に存在するけど、やっぱり私は、絵が描ける技術とか、彫金が出来るという「技術」で食っていきたいわけじゃないんです。

 

あるいはこういう時もあります。展示作品をみて、女の子たちが声をかけてくれました。なんだろうと思って話を聞くと、聞かれるのはひらすら「使っている素材は何か」「画材はなにか」「道具は」「作り方は」というそればっかりです。もちろん、私も、憧れのアーティストがつかってるペンはなんだろうとか、有名なデザイナーさんがどんなクロッキー帳の使い方をしてるのかとか、バカみたいに気になっちゃう時あります。でも、ほんとそういうの、違うんです。

結構こういう「素材」や「方法」ばかりを聞かれて、うんざりしてるクリエイターさんは多いみたいだけど。なんていうか、やっぱり自分にとって素材とか方法ってどうでもいいんだなーってそういう時になるとわかりますし、モノを作る上でそういうものに頼ろうとするのはいかに無駄かというのを改めて実感します。

 

プログラミングが出来る彼女のはなし 

メディアアートと言われるカテゴリの中で、作品を作る友人がいます。プログラミングが出来ますよという資格や検定の証明書が、社会の中で、自分を価値あるものだと証明してくれるということを友人は知っています。それがあれば、色んな会社に就職出来るかもしれない。でも、大学4年の彼女の頭の中に、資格を取るなんて言う選択肢はどこにもありませんでした。自分の、プログラミングの技術を誰かに評価してもらいたいわけじゃない。プログラミングは武器になる、その技術で飯が食える。でもあくまで彼女にとってそれは方法でしかない。プログラマーという技術者に、なることと、プログラマーと同じ技術を使ってアートをやることは、果てしなく違う。

美術に目に見える定規はありません。検定もありません。彼女が自分でやりたい事で生きていくためには、資格をとることなんてほとんど意味を持たないんです。彼女を証明するものは、彼女がつくる作品以外何もない。

 

 

表現と技術で生きるためのこと

人に何かを頼まれるようになると、それで生きていけるようになる。と画家をしている予備校の先生に言われたことがあります。でも、人にいざ、こういうのを作ってほしいと言われると、驚く程全く手が進まないんです。本当に自分で自分がいやになります。

 

小説家がキャンペーン広告のために短編を書いたり、バンドが映画の為に曲を作ったりするの、本当にすごいって思う。彼らは決して文章をかける技術や、曲を作れる技術だけを売っているのではなくて、やっぱり自分自信の表現にお金をもらっているんだと私は思っています。そしてそこまで出来る人は本当に、自分の一つの表現方法を確立している人たちなんだろうなと思うんです。

私が人に頼まれた物を作れないのは、まだまだ自分の技量に自信が無いから。自分の表現方法に自信が無いからです。私のうまれ持った性質のせいじゃない。私がまだまだ未熟だからに違いない。そういう風にポジティブに考えるようにしています。

 

私は自分が将来何をやりたいのか、具体的な職種を大きな声で言うことは出来ないでいます。でも、どんな形であれ、つねに自分の表現が出来ていて欲しいなと思います。

できればお金もちょっとは欲しいなと思います。

 

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小学生の私が考えた、超省エネ!最強バレンタインチョコレートレシピ。

今週のお題「バレンタインデー」

 

今でこそバレンタインはセフレとのプチイベントとしてすっかり楽しんでいる私ですが、昔はバレンタインが大嫌いでした。

大嫌いというか面倒臭くてしょうがなかった。バレンタインという日を受け入れられない系女子でした。でもなんとなく普通の学校にいると、やっぱりバレンタインという日を素通り出来ないから、しぶしぶだけどバレンタインの用意をしていました。学校という社会の中で無感情に生きる為のバレンタインの過ごし方を、10代の私は実践してきました。

物心ついた頃から私はバレンタインが苦手だったから、黄金ロリータ時代の私ががつくるバレンタインのチョコレートは、大変ひどいものでした。

 

小学生だった私が発明した、極力体力を消耗せずに用意出来るバレンタインチョコレートのレシピを紹介します。バレンタインがどうしても避けられないけど、最大限になにもしたくない人に超オススメのレシピだよ。

 

いかに自分を消耗せずにバレンタインを生き過ごすか、それがこのレシピのテーマです。

 

①まず市販のマカダミアチョコレートを数箱用意します。オススメはロッテだよ

lohaco.jp

 

②あらかじめトレーにクッキングシートを敷いておき、その上にマカダミアナッツを並べます。

 

③そしてそのままマカダミアナッツをレンジでチン!(チョコが温まる程度で大丈夫です。多分数秒でOK)

 

④チョコレートが柔らかくなってるうちに爪楊枝でチョコレートの形を軽く崩し、既製品感を無くします。(ロッテのマカダミアナッツの場合、上部の綺麗な形に造形されているところだけならしてしてまえば大丈夫です)

 

⑤冷やして固まったらそれっぽい袋につめて完成!

 

我ながら小学生でここまでやるって、すごいなあと思います。でも結局、バレンタインに手作りチョコレートを交換したという事実さえあればなんでもええねん!しょーもない女子達につきあってやればええねん!という気持ちでした。市販の板チョコ溶かしてハート型のアルミカップに入れるアレよりもよっぽど簡単だし美味しいのでオススメです。ちょっともう一工夫したい人は、爪楊枝で形を崩したあとチョコのてっぺんにバレンタインのトッピング用フレーク等(おすすめは地味なナッツフレーク)を乗せると凝った風に見えます。おすすめ!

今思うと小学生の頃の自分のことが自分で心配になっちゃう。そんなに生きるのつらかったのかなあ。

そしてなんといっても私の母親は、バレンタインの前日に、10歳の愛娘が市販のチョコレートを温めて爪楊枝でつついているところをどんな気持ちで見ていたんでしょうね。

 

 

 私は絶対にガトーショコラなんて焼かない(おまけ)

中高生女子の絶対ガトーショコラ焼くやつ、なんなんだろう、

毎年毎年、

 

ガトーショコラ作ったの〜」

「すごーいえらーい!」

「一番綺麗にできたのは彼氏にラッピングしてあげたから、みんなのは形崩れてるヤツだよーw」

「まじ彼氏につくんのとかめんどくさ〜い」

「ワラワラ〜〜w」

 

みたいな会話を聞いていました。そして毎年3個はガトーショコラを食べていました。みんな無印の、ガトーショコラです。

彼氏に作れって言われたから作ったんだっていう会話が一番キモいなって思います。男もキモいし女もキモいです。

すごい、こんな低俗な悪口しか言えないぐらいただただそういう、彼氏には手作りガトーショコラ一択みたいな文化が大嫌いです。大嫌い以外のなんでもないです。バレンタインに罪は無いです。

 

手作りのモノをあげる喜びみたいなのがよくわかりません。わたしはガトーショコラなんて拷問されても焼くもんかと思ってます。四肢を引きちぎられたとしても焼きません。

 

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セックスフレンド ハッピーバレンタイン

今週のお題「バレンタインデー」

 

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セフレとはじめてのバレンタイン

私にはもうすぐ出会って3年になるセフレがいます。出会った初日に歌舞伎町のホテルでセックスしたあの日のサービスタイムから、私たちは本当に淡々と関係を築いてきました。

 

3年か〜〜。ほぼほぼセックスだけで3年と思うとなんだか感動モノ。だってセックスが異常にイイとか、そういうわけじゃないけど3年続いたんですから。お互い別に外見がめっちゃ好みってこともなく、性格もめちゃ合うわけでもなく、むしろお互いにそんなに執着しない程度の適度な愛着だからこそこんなに続いているのかもしれない。あるいは私はそうでもないけど相手から見ると私の体がサイコーなのかしら…??ね?

とにかく、もうお互いに、これはもうただのセックスの仲じゃないよねと言わざるをえない関係なんです。

 

私とセフレの間に、誕生日とクリスマス、その他の記念日はありません。初めてエッチした日なんて覚えてないし、お互いの誕生日も覚えてません。クリスマスもお祝いをしたことがない。それは彼に彼女がいる時もいない時もそうでした。(私は彼氏ができたことありません)

 

でも唯一私たちの仲で成立しているささやかなイベントごとはバレンタインです。もちろん体にチョコ掛け合ってベロベロ舐めるとかそういう派手なことをしてるわけではない。

 

日本だとバレンタインは関係性に関係無く男女であればなんとなく成立するからね。私は彼と初めて出会ったのが初夏ぐらいの時期だったのですが、出会った翌年のバレンタインからプレゼントを渡しています。

たしか、初めてのバレンタインは、すごく適当にあげたんです。他の人にあげたバレンタインのお菓子の残りをクシャクシャの紙袋に突っ込んだまま良かったらどうぞと渡した記憶があります。だってなんかエッチの相手にチョコをあげるなんて変かもしれないし。でも彼は想像もしてなかったぐらいすごく丁寧に喜んでくれたのを覚えてる。今まで男性にそんな風に贈り物を受け取ってもらったことがなかったから、本当に驚いて、クシャクシャの紙袋であげたことをすごく後悔しました。なんてったって私はその人と出会うまで、男性と向かい合って食事をすることもできない、セックス以外のコミュニケーション方法を知らない女子高生だったんです。

 

そしてさらに驚くことにホワイトデーのお返しが来たので、これまた腰を抜かしたのを覚えています。クラスメイトへの友チョコでは決してもらえないすごく丁寧なお返しでした。しかも今まで出会い系で出会った男性ともろくな関係を築いてこなかった分、本当にこんな男性がこの世にいるのかと驚きました。

彼から渡された綺麗な箱。その中にお行儀良くならんだ6つの可愛いチョコレートが、私のことを見上げていました。

 

このサイズならお母さんに見つからないでしょ、と言って彼が選んでくれたチョコレートを、私は部屋の引き出しの奥に突っ込んで、毎日奥から引っ張りだしては一粒ずつ一粒ずつたべました。本当にとにかく嬉しくてしょうがなかった。

 

バレンタインこれから

プレゼントをもらったら、すぐに鞄に突っ込むのではなくて、その場で中身を見てリアクションをとる方が良い。ということは彼に教えてもらいました。どんなふうにプレゼントを喜ぶと嬉しさが相手に伝わるのかとか、なんだか本当にそういう当たり前のことがすごく上手な人で、私は当たり前にそういうことができる彼を見ていつもオドオドしてしまいます。

 

私はプレゼントに慣れていないから、今でも喜び方が本当にへたくそ。きちんと感動が伝わっている自信がない。彼は絶対に今年もホワイトデーをくれるので、そのときどういう反応をとろうか、既に作戦を立てています。私はどうしてもリアクションがへたくそだから、今度はなにも言わずに抱きついてみようかなって思ってる。口を開くと自分でもガッカリするような言葉しか出てこないからね。無言で抱きつくなんて超キモがられそうだけどこれでいこう!と今から力んでいます。フン!!!

 

だから美術系女子にとって、バレンタインはセフレに無条件に贈り物をできる素敵な日です。多少日にちが前後してしまっても絶対にバレンタインは渡します。いつもエッチとご飯だけ(それで十分だけど)の付き合いではあるけど、バレンタインだけはいつもドキドキ。いつもホテル代もご飯代もほとんど出してもらっている彼に対して私が自分のお金を使って何かをプレゼントするのは緊張します。

 

渡すタイミングがわからなすぎて、毎回、「今!?」って驚かれてしまってたけど今年はきちんとナイスなタイミングで渡せました(2月はもう合えないので既に渡した!)

 

ちなみにセフレへのプレゼントは近所の美味しいお菓子屋さんのお菓子詰め合わせセット一択です。作ったり迷ったりして思いを込めすぎないのがミソ!!

でも来年からはもっとちゃんと選ぼうかなーと思っています。

 

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本日のオススメブラ(新コーナー)

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ウンナナクール ウーマン ノンワイヤーブラ FB3017

 

先日のノンワイヤーブラ記事を書いてから下着熱が再熱してしまったので、気まぐれに下着を紹介することにしました。

ウンナナクールのノンワイヤーというかソフトブラです。リブ素材の肌着っぽい生地とヌーディーな色味が可愛い。滑り悪そうだし支えにはならないと思うので、普段使いには実用的かどうかわからないけど部屋着感覚で着けるのいいなーと思いました。欲しいなー。私ももし彼氏と同棲してたらこういうの買うのかな〜〜。

 

ウンナナクールについて語ってる記事はこちら

bijutsukeijoshi.hatenablog.com

他人の評価と自己評価、モノを作る時のはなし

自分では全くダメだと思っていても、人にいいじゃんと言われたからしぶしぶ出してみたらものすごく評価された、という経験があります。でもやっぱり、いくら評価されても私の中ではいつまでもそれは全くダメなもののままでした。

 

それとはまた逆に、精一杯の準備をしてコンペに出品して、いけると思ったけどダメだった、でも自分ではあれは悪く無かったと思える、ということもあります。美術業界ではコンペとか、賞とかが大事でした。だって資格や数字で測れない分、唯一目に見える評価が「◯◯賞受賞」という肩書きだけだからです。

 

copywriterseyes.hatenablog.jp

 

この記事を読んで、うーんと思いました。◯◯賞っていうのは結局その時代時代の流行とか、そういう影響を多分に受けているし、数字でないあいまいな評価であることは確かだから。ここに書かれている通り、審査員に媚びれば…という事実があるのも確かです。出品するのもクソみたいにお金がかかるこういう「◯◯賞」に、こぞってクリエイターが出品するのはやっぱり自信と確信と仕事が欲しいからです。自分がモノ作りを続ける為には、自信と確信と仕事=お金と目に見える評価が必要だと感じる人が多いからです。

 

もちろんモノ作りをする上でのひとつのモチベーションとして「◯◯賞に出品するぞ」とするのはいいことだと私はまだ思っているけど、結局は自分の「できた」「できなかった」という実感を大事にするべきだとあらためて思いました。

 

以前、あるイベントでspoken words projectというブランドの主宰者である飛田正浩さんのお話を聞いた時、飛田さんに対して「大学卒業後、予備校講師のアルバイトをやりながら服を作り続けていて、不安はありませんでしたか」という質問がなげかけられました。飛田さんの答えをとてもよく覚えています。

 

「不安はなかった、服作りが好きだったから、ただただ服作りを続けられる自信だけはあった」

 

私はこの言葉がずっと忘れられないでいます。これがクリエイターのあるべき姿だとは言わないけど、こういう風になれたらシアワセになれると思いました。特別飛田さんの人格や作品に憧れを抱いているというわけじゃないけど、でもこのときの彼の話はずっとずっと好きです。どんなに評価されなくても、お金がなくても、好きだから続けられるという自信がある、結果飛田さんは成功していますが、それはあくまで彼においての今の状況にすぎません。そしてその状況があるのは、彼に非凡な才能があったからではなくて、自分が良いと思える物を作り続けられたからだと思っています。

人の評価に媚びるものをつくるのは簡単です。しかし絶対にそこには不安が伴うんです。これはモノを作ってるひとなら絶対にわかる話だと思います。他人に良いと言われても、自分でそう思っていない限り、報われない感覚がずっしりと暗い重みをもって心に残る。でも自分が良いと思う作品を作り続けている間、きっと幸福です。どんなに評価されなくてもちくしょうって思えるモノ作りがあるし、きっとそれは楽しい。そして自分が良いと思っているんだから、絶対いつか人に評価されるときがくるという淡い期待もあります。そういう意味では、こういう賞に血眼で応募するのもなんだか時間の無駄な気がしなくも無い。もちろん生きていく上で社会に掲げられる評価は武器になることはたしかだけどね。

 

お金お金という人生からさっさと離脱して、ただただモノ作りをしていける人間になりたいなーというのが理想です。

落ちたコンペのことなんてさっさと忘れよう!好きな物をつくろう!というはなし

 

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恋愛に絶望しているというとことに気づくまでの2000字

自分自身が今男性との恋愛について絶望していると気づくまでの2000字です

 

 

彼氏が欲しい

 

彼氏が欲しい彼氏がほしい

 

彼氏が欲しい彼氏が欲しい彼氏が欲しい

 

 

彼氏が欲しいんですけど。

でも出会い系で真剣交際もとめてるような同年代は嫌だし、出会い系で出会える30代と付き合うのはアリだけど未来ないし、でも21だし未来無い恋愛じょーとーじゃん2年だけ付き合うのでも全然ありじゃん、でもでもそんなスタンスなら別にセフレでいいじゃん、でも付き合いたい、付き合いたい、付き合ってみたい!

 

なぜ私がこんなに今付き合いたいかというとみんなが当たり前のように恋愛をしているからです。地元のあの子も同じクラスのあの子もあの子もあの子も、セフレさえも、何故だろう。私だってちょっとぐらい男の子と水族館に行ってみたい気持ちが無い訳じゃない(水族館別に好きじゃないけど)、でもなんだか彼氏が出来たところでどうかしてる自分が想像出来ないのが一番の悩みだったりするのかもとかなんだかんだうじうじ考えている今日この頃です。その気持ちを書いてみたらなんかすっきりするかもと思いました。もちろん彼氏は出来ないけどさ。

 

 

彼氏の浮気に気がついた時にブワッと目頭が熱くなる感覚と、2年間つれそってきたセフレお兄さんに彼女を作ったと言われた時にブワッと目頭が熱くなった私の感覚は、一緒なんじゃないかなとか、女の子が恋人に大好き!って思う感情と、私がセフレに大好きって思う感情に、明確な違いはあるのかなとか、別にへりくつでもなんでもなくそういうことを考えてはやめ、考えてはやめということを繰り返しています。だってなにもわからないんだもの。

 

高校生の時から私の奇行を見守ってくれているS子に、最近やっと彼氏が欲しいという感情が芽生えたと言ったら「よかったじゃん」ってそれだけ言われました。でもやっぱり私の彼氏欲しいは、言い換えると普通の女の子みたいなことがしたい願望「私だって、普通のおんなのこになりたーーい!」なのかもしれないと思うんです。つまりは、自分がセフレ系女子であるというアイデンティによりかかった上での表層的な欲望なわけです。もしかしたらクソどうでもいい感情なのかもしれないんです。そもそも付き合いたいなんてクソどうでもいい感情なんですけど。

 

セフレだと何が不満かと言われると、特に何も不満はありません。でも無いのかと言われれば別に無い訳じゃありません。でも私が持ってる不満感は恋人がいる女の子でも持つレベルの不満感な気もします(そう思うことで自分を肯定してるだけだけど)

セフレでも絆は感じられるし。ただやっぱり、相手が絶対に自分としかセックスをしないという当たり前のルールや、恋人として優先的に?頻繁にデートできる感覚とかを味わってみたいんですね。全然マメじゃないあの男が彼女には本当に頻繁に連絡をしているのか、気になって仕方が無いんです。彼女になったら、毎日ライン送ってくれるの?

 

私はあんまり美術館や買い物やらに恋人と行きたいなーという気持ちは無い。恋人とデートというのをしたことが無いからその幸せさが想像出来ないんですね。うらやましさだけ。

でももし彼氏が出来たら「旅行に行きたい」っていう唯一の具体的な願望があります。例えば温泉旅行!温泉に入って畳でエッチして温泉でエッチして畳で寝てお散歩して美味しいもの食べて寝る。

あとは南国旅行。私は山田詠美の南国安楽椅子という本がとても好きで、あれに憧れを抱いているので是非南国の開放的なホテルで汗だくになりながらエッチをしたいなという野望があります。

 

ん〜〜ここまで書いてみて気がついたんですけど、私って本当にセックスばっかりだなあ。

            

つまりは、結局私が男に求めるものがセックスしか無いんですね(本当に書いていて思いました)。というのも私は男の人とセックスしかしたこと無いから当たり前なのかもしれない。私のことをかわいそうとか思う女が居たらぶっ殺しにいくので黙っていてください。父と母の間にいわゆる愛や幸福らしきものを垣間みたことが無いのも原因かもしれないし、いろんな事が原因で今の私ができてしまってるんだけど。

 

ここまでぐだぐだ思いのままにしょうもない愚痴を書いているうちに、どうにも私は男性、男性との恋愛関係に対して絶望的なぐらい何も期待していない、というのがわかりました。だから結婚というわかりやすいもの(家庭をもつこと、経済的支え)や、セックス(物理的快楽)という目に見える利益しか想像出来ていないんです。あるいはその他想像を自分でシャットダウンしている気もします、だってスキナオトコノコトデートシタラキットシアワセです。頭ではいくらでもわかってると思うんですがその想像がどうにもうまく出来ません。なぜ私はこんなに男性に対して絶望的なんだろう。

まさに絶望。男性に対する望みが、なにひとつ無い、頭のどこかでブツンと切断されているような感覚だ。こまったなあ

 

 

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