美術系女子の話

美術系女子の苦悩系ブログ/日記と怒り、セックスと家族

人一倍孤独に過敏な私の子供時代。

ものごころつく頃からなんとなく1人でいることが多かった。その理由や原因はありすぎてきっとわからない。小さい頃からの自分のことを振り返って、今の私の積もり積もった孤独感の話をしようと思いました。

 

小さい頃から母親から離れられない子でした。それはきっと母が昔から心配性だったからだと思う。母の不安そうな顔を見て育ったし、母も内気な方なので、小さい頃、世界で一番恐ろしい場所は児童館だった。今でも、目が覚めるような怖い夢の一つとし児童館のあの傷だらけのニスが塗られた気の床を思い出す。たしか人生で2回ぐらい、母に児童館のイベントに連れて行かれた記憶があるので、あまりにも嫌がる私を見て母はそれ以上行かなくなったのだと思う。

町を歩いていると、親の手を離れて駆け出しているような子供をよく見るけど、母曰く、私はずっと母の手を握っていて離れることはほとんどなかったらしい。1度だけ迷子になったことがあるけど、私がスーパーで何かに見入っている間に母がどこかへ行ってしまったからで、自分から母から離れていったわけではなかった。

 

幼稚園は毎日大泣きしながら通った。体が小さかったので、背の高い美人の女の子2人組に気に入られて、その子たちの召使いみたいな立場になっていたのを覚えている。あまり幼稚園の記憶は無い。

 

小学生の時はいじめっ子に気に入られて仲良くしていた。いじめっ子と行ってもそもそも学年が1クラスしかなくて、1年生から6年生までずっと同じメンバーだったので、大規模ないわゆるいじめというのは無かった。ただその子は飛び抜けて気性が荒く、気に入らないことがあると相手の椅子の上に画鋲を置くような邪悪さを持った子だった。私はその子のことがだんだん嫌いになった。私はいじめっ子を含むイケてるグループとも中が良かったし、いじめっ子達とはまた別の比較的朗らかな派閥とも仲が良かった。いつのまにか2つの派閥のまんなかにいた。どちらの派閥もあまりにもくだらなかった。だんだんどっちも嫌いになった。いじめっ子のそばにもいたくない、でもいじめっ子を嫌う派閥の中では時々居心地が悪い。私はだれともつるむのもやめた。いつもそのときいじめられて省かれている子のそばを点々としている時も会った。

A子ちゃんがターゲットの時はA子ちゃんのそばにいた。B子ちゃんがターゲットの時はB子ちゃんのそばにいた。

最終的に最後まで好きでいられた仲のいい女の子もいたけど、私は結局どちらの派閥にも属さない立場で小学校を卒業した。

 

中学では小学校の反省をふまえて、特別誰かとつるむのをやめることにした。上手く行ったけど結局そういう体質らしくて女番長みたいな子に気に入られている時期があったりもした。小学生の時、1人の子とつるみすぎてしまったというトラウマがあったので、人に気に入られるのが以上に怖かった。好意的に一緒に帰ろうと言われるのがこわくて、私は誰にもつるまれたくないという一心で、誰よりも早く教室を飛び出して、歩いて15分の通学路を走って帰っていた。

今でも仲がいい友達はできたけど、成績がいいとか、ちょっと変わっているとか、そういうことでなんとなく線引きをされていた。3年時は受験のために2学期までは毎日通ったけど、残りはまったく行かなかった。

 

高校に入るとだんだん学校に行けなくなった。私の声が無視されてしまうことがあまりにも怖いときがあったり、気にかけられるのも嫌だったりした。あまり学校にも通わず、SNSに浸り、出会い系に浸り、いつのまにか体中にはりついてしまった寂しさや疎外感を体に塗りこむようにセックスをしていた。

 

こう書いてみると、私が人と仲良くなれなくなってしまう人格が出来たのは小学校からな気がする。すごくざっくりしか思い出せなくて、よくわからないけど、とにかくいつの間にか1人を選ぶようになり、人を拒絶して、そしてずっと1人の時があった。

人一倍、孤独に敏感になってしまった。そして誰にも寂しいと言えなくなった。寂しいと言って人が寄ってくるのが怖かったから。人に弱さをなにひとつ見せられなくなった。怖かったから。

 

この春、イギリスから帰国したら引っ越す。友達と2人で暮らすことになっていて。いままでずっと一人だった感覚が、これを機になくなるんじゃないかと思ってすごくわくわくしている。