美術系女子の話

美術系女子の苦悩系ブログ/日記と怒り、セックスと家族

広告という仕事に対する漠然とした嫌悪感

copywriterseyes.hatenablog.jp

 

美大、とくにデザイン系を選考する人間にとってやっぱり大手広告代理店というのは華々しいエリートコースです。バリバリ課題をこなしストイックに作品と向き合う、そんな優秀な学生、あるいはアートディレクターという響きに誰よりも執着心のある学生がそういうところに就職出来るのかなーというのが一介の美大生としての意見です。

 

私はというとほんの少し前までは当たり前にそういうエリートコースを進む自分の未来を想像してきました。小学校も中学校も高校もあんまりうまく通えなかったコミュ障人間が、そんな大手バリバリイケイケ広告代理店に務めるなんて今思うとちゃんちゃらおかしいことではあるんですけど、でもその未来を疑っていなかったんです。作家になるなんてあり得ない、ましてやアーティストなんて論外中の論外。エリートになる以外に生きる道はないと本気で思っていました。

それはなぜかというと、私には、バリバリキャリアウーマンになるという重い使命があったからです。好きなことを仕事にしてなおかつお金を儲けるスーパー自立女になることが、私の人生に置いて絶対的な使命でした。でも最近になってそういう、頑だったはずの未来像が砂のようにサラサラと崩れていったのです。

 

私がキャリアウーマンにならなければ行けなかった理由

bijutsukeijoshi.hatenablog.com

 

 

私が本当にドキドキとときめきながら、つづけられることっていったいなんだろう。

私は、美大生としてはエリートじゃない、というのも普段からそんなに絵を描きまくって生きて来た訳じゃないし、デザイナーやアーティストという職業の存在を知ったのも本当に美大に入学する直前のことでした。だから昔からアートディレクターになりたいとかデザイナーになりたいと思っていた訳じゃなくて、自分が好きなこと(モノ作り)でなおかつエリートキャリアウーマンコースとは?と絞り込んでいくと広告という選択肢が残ったんです。本当にただそれだけの理由で広告業界一択〜〜と思っていました。

そしてみごとにそのイメージがサラサラと崩れた。むしろこんなに早い段階で崩れてくれて良かったと思っています。美大ってすごく専門的だし、美大に入ったらすごく将来が絞られると思っていたんです。でもむしろその逆でした。美大に入ってみたら、将来の選択肢がぐんと広がったんです。好きなことをして生きて良いんだ、美大という環境は私にそれを教えてくれました。

 

広告という仕事に嫌悪感を持った

いつかS子に「やっぱり広告好きじゃないかも、わたし」という話をしたら「でも絶対に好きなことを仕事にする必要もないなって最近わたしは思うのよ」と予想外のことをいわれてすこしだけシュン・・・としました。そうかなあ。私も好きじゃないことを仕事にできるかなあ。

 

私が、うーん、広告、なんか嫌かも、と思いはじめたときのことを書きます。

 

まず、地方創世とか、被災地復興とか、子供のためのワークショップ!とか、そういうの、美大にいると嫌って程耳にします。イキイキした、新鮮な水に飢えている魚みたいにピチピチしたクリエイター系大学生たちが、子供のため!とワイワイしながらワークショップ作りで徹夜をする。そういう雰囲気が嫌いなだけと言えばそれもあるけど、なんか、地方創世とか、被災地の為とか、子供のためとか言って、結局はそういう看板をぶらさげながら、自分たちの表現の練習の場に使ってるだけじゃんというのが私のそのときの感想でした。

でも広告って結局そういうことです。新しい価値をつくろうって言って、なんかようわからんけど人のためっぽいコンセプトをはっつければ、広告作りやマーケティングって出来ちゃうんです(もちろんプロの世界では通用しないと思います)。だから大学の、デザイン系の課題の展示を見ると、あきらかにこんなん世の中に必要ないやろ!っていう意味不明なコンセプトのレストランの綺麗な店舗イメージとかが、さも世の中にとって価値があります!みたいな内容のコンセプトボードとともに並べられてるんです。そんでもって今っぽいデザインでかっこよく作られてれば、クオリティたけぇ感じに見えるんです。

 

なんかそういうの嫌でした、子供のためとか、◯◯のためとか言っておけばしょうじき何でも作っていいのかよって思いました。もちろん課題ですから、それはあくまで架空の話ではあるけど。

マーケティング系の課題の課題文を見ると、新しい価値新しい価値って書いてあるけど、私この世にもうこれ以上必要な物なんてないじゃない!ってうんざりしちゃう。結局、ぜんぶぜんぶぜんぶ嘘。

子供の為のワークショップじゃないです。自分たちの表現の練習と、就活のポートフォリオのための数稼ぎワークショップに子供の笑顔っていう画を引っ張ってきてるだけです。こんな意味不明なコンセプトの商品、この世にまったくいらないってわかってるのに、でも奇をてらう為にそうやっちゃってるだけ。別に広告ってそういうもんだと思ってる訳じゃないけど、でも大学時代にそういう嘘のものを作ることに心血を注いだ人たちが、大手広告代理店に就職していくのだと思うと、なんかもうダメでした。

 

私はもうダメでした。

 

広告、マーケティングの次はパッケージデザインもダメになった

たっぷりとインクを乗せられた、煌びやかな分厚い箱の軍団。

パッケージデザインの授業の作品を見てると、だんだん目眩がしてきました。

「ね!私すてきでしょ!」「いいものに見えるでしょ!」「こういうの、買いたくなるでしょ!」

陳列された、こってりした架空のパッケージ全部が、エサを欲しがってピーチクパーチク鳴きわめいてるひな鳥に見えた瞬間がありました。ああうるさい、、、その場で耳を塞ぎたかった。崩れ落ちそうでした。

 

大学に居るとね、マーケティングや広告デザインの課題作品の方が、他の作品たちよりなんかクオリティが高く見えるんです。それは優秀な人がみんなマーケや広告の授業を選択するからだと思ってました、でも多分違います。マーケや広告デザインって、それっぽく作るのが簡単なんです。例もたくさんあるし、デザインの流行がわかりやすい。奇をてらって、制作時間さえしっかりかけて、ポスター、店舗の模型、梱包材、看板。数を出せば、いいっぽいものができるんです。

こんなこというと怒られるかもしれないけど、これはあくまで私の仮説です。もちろん世の中で活躍しているデザイナーさんはすばらしいしいわゆる大手広告代理店にアートディレクターとして就職できる人は、そういう表面的な子器用さで就職してるんじゃない。それ以上のものを持つ人が就職出来てるんだと思います。でも中にはそれっぽいものを作れるだけの人なんてわんさわんさと居るんです。私はそうなりたくない。私は自分がそういうものを作って、シアワセな気持ちになっている姿が想像できなくなってしまった。

 

こんな風にぐるぐると、自分はどこに進むべきか最近はなやんでばかりでした。

そんなときにこの記事を読みました。

 

広告クリエイターという仕事は、なんだかとても「もてはやされ」ています。それがとても不思議でした。なぜなら広告クリエイターよりも、メーカーの人たちのほうがよほど「創造的な仕事」をしているように思えたからです。 

広告は、他人のお金で、人の意思の範疇で何かを作ります。金銭的なリスクもなければ、責任をとることも稀です。極端な話「当たれば広告のおかげ、外れたら商品のせい」にできてしまう世界です。もちろん素晴らしいCMやグラフィックを作るひとはたくさんいたし、それはものすごい才能と努力の賜物です。だけど自分のリスクをとって、ゼロからものづくりをするひとに、より強い憧れるようになりました。

 

 

広告の世界って本当に華やかなんです。カッコいい。でもなんか、だんだんそのことについて悩むようになりました。実際に広告業界にいた方の意見を聞いて、私がなんだか飲み込めなかった広告という仕事のイガイガ感が、すこしずつ具体的になってきました。広告という仕事のことを批判したいわけでは決して無いです。自分が、どんなふうにモノ作りという力を活かしていきたいのか、あともう少し、悩んでみようと思います。

 

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