美術系女子の話

美術系女子の苦悩系ブログ/日記と怒り、セックスと家族

私達は技術者になりたくて美大に通っているんじゃない。

私達は技術者になりたくて美大に通っているんじゃない。

私は、無論、文章以外でも作品作りをしています(それをここで出す気はありません)、作品を発表してると、時々こういう声がかかる訳です

「◯◯さんの作品大好きです。今度、こういう色でこういう雰囲気で、このモチーフをつかったこれを作ってほしい!」

私はまた「あっ」と思います。ズレです。

こういうときの私の正直な気持ちはこうです

「私の作品好きって言っておきながら、結局、自分が欲しいものを作れそうな私に声をかけただけじゃん」

こういうときは私は、やっぱり私は技術者になりたいわけじゃないんだな、って思う訳です。物作りには色んな形があります。伝統工芸、工場の技術者、デザイナー、大工、上げきれない程の職業が、「モノ作り」という大きなくくりの中に存在するけど、やっぱり私は、絵が描ける技術とか、彫金が出来るという「技術」で食っていきたいわけじゃないんです。

 

あるいはこういう時もあります。展示作品をみて、女の子たちが声をかけてくれました。なんだろうと思って話を聞くと、聞かれるのはひらすら「使っている素材は何か」「画材はなにか」「道具は」「作り方は」というそればっかりです。もちろん、私も、憧れのアーティストがつかってるペンはなんだろうとか、有名なデザイナーさんがどんなクロッキー帳の使い方をしてるのかとか、バカみたいに気になっちゃう時あります。でも、ほんとそういうの、違うんです。

結構こういう「素材」や「方法」ばかりを聞かれて、うんざりしてるクリエイターさんは多いみたいだけど。なんていうか、やっぱり自分にとって素材とか方法ってどうでもいいんだなーってそういう時になるとわかりますし、モノを作る上でそういうものに頼ろうとするのはいかに無駄かというのを改めて実感します。

 

プログラミングが出来る彼女のはなし 

メディアアートと言われるカテゴリの中で、作品を作る友人がいます。プログラミングが出来ますよという資格や検定の証明書が、社会の中で、自分を価値あるものだと証明してくれるということを友人は知っています。それがあれば、色んな会社に就職出来るかもしれない。でも、大学4年の彼女の頭の中に、資格を取るなんて言う選択肢はどこにもありませんでした。自分の、プログラミングの技術を誰かに評価してもらいたいわけじゃない。プログラミングは武器になる、その技術で飯が食える。でもあくまで彼女にとってそれは方法でしかない。プログラマーという技術者に、なることと、プログラマーと同じ技術を使ってアートをやることは、果てしなく違う。

美術に目に見える定規はありません。検定もありません。彼女が自分でやりたい事で生きていくためには、資格をとることなんてほとんど意味を持たないんです。彼女を証明するものは、彼女がつくる作品以外何もない。

 

 

表現と技術で生きるためのこと

人に何かを頼まれるようになると、それで生きていけるようになる。と画家をしている予備校の先生に言われたことがあります。でも、人にいざ、こういうのを作ってほしいと言われると、驚く程全く手が進まないんです。本当に自分で自分がいやになります。

 

小説家がキャンペーン広告のために短編を書いたり、バンドが映画の為に曲を作ったりするの、本当にすごいって思う。彼らは決して文章をかける技術や、曲を作れる技術だけを売っているのではなくて、やっぱり自分自信の表現にお金をもらっているんだと私は思っています。そしてそこまで出来る人は本当に、自分の一つの表現方法を確立している人たちなんだろうなと思うんです。

私が人に頼まれた物を作れないのは、まだまだ自分の技量に自信が無いから。自分の表現方法に自信が無いからです。私のうまれ持った性質のせいじゃない。私がまだまだ未熟だからに違いない。そういう風にポジティブに考えるようにしています。

 

私は自分が将来何をやりたいのか、具体的な職種を大きな声で言うことは出来ないでいます。でも、どんな形であれ、つねに自分の表現が出来ていて欲しいなと思います。

できればお金もちょっとは欲しいなと思います。

 

 twitterやってます→@bijutsukei