美術系女子の話

美術系女子の苦悩系ブログ/日記と怒り、セックスと家族

「あなたの作品を見てみたい」と言われた時に感じるズレのはなし

自分を見てもらうということ

Twitterでブログをよんでくださっている方に、「文章以外の表現が見てみたい」というありがたい意見を頂きました。とても予想外だったけど、確かに美術系女子という名前の手前、そういう風に思われるのは当たり前かもとも思いました。そしてどんな形であれ興味を持ってもらえるのはすごく嬉しい。

 

私は美術系女子って名前にしているけど、ブログには具体的な職種や所属は伏せているつもりでした。なぜなら美大生って言っちゃうとそれだけで学校がかなり絞られるから!!!!でもよくよく見直すと思いっきり美大生って書いてあるしまあ美大生ですよね。

どこかで美大生を研究対象にしている研究者さんの話によると日本の大学生で美術を専攻している人の割合は0.3%ぐらいだとかなんとか。マイノリティの代表みたいな生き物なんだなーって改めて思いました。美大に居ると当たり前だけどみんな美術をやってるからそんな風に感じないんだよね。むしろ多過ぎ!!って思います。

 

Twitterでリプライをくれた方はね、写真とか興味ないですか?というリプライをくれたんです。私は全然上手い訳ではないんですが写真を撮るのが好きでした。もともと長い時間をかけて作品を作るというのがあまり得意ではない分、シャッターを切るだけで作品がうまれる仕組みはすごく自分に合っていたし、父がカメラ好きなこともあり、他の子が持っていないようなアナログカメラを気軽に使うことが出来る環境だからかもしれません。

すごくもったいない使い方をしているな〜とは思いますが、特別発表するような作品としてではなく本当にスナップ写真を撮っては現像してもらった物を一人で見つめてニヤニヤしています。写真楽しいよね。

 

Twitterの話にもどりますが、私が写真好きですよ、今度ブログに載せてみますという返事をしたところ、こういう返事が返ってきました

「個人的には町歩きスナップのような物を撮ってほしいです、女性独特のふわっとした空気感のものが好きなんです」

私は「あっ」と思いました。よく感じたことのある感覚だったから。

ぐらぐらとした大きな、ズレです。

 

難しいので、先に端的に言ってみます。

私の、文章以外の表現が見たいという言葉は本物です。すごく嬉しい。見てもらいたい気持ちもあります。でも、「あなたの作品が見たい」という言葉と、「私はこういう作品が好きなのでそういう作品を見せてください」という言葉は全く反対のベクトルの言葉だと思うんです。そうだと思います。

 

例えばそれが、プロのフォトグラファーで、その人の作品、作風を知った上で「是非あなたの写真で、こういう被写体が撮られているのを見てみたいわ」「あなたの切り取る風景が、もっとビビットな色彩になった物を見てみたいわ」というのであれば、話は変わってきます。でも、私は今回のリプライを、そういうふうには受け取りませんでした。

 

あなたは文章以外の作品を作っているんでしょう?是非見てみたい、というところまではとてもスムーズに受け取れました。でも写真好きですか?から雲行きが怪しくなってきました。写真好きですか?是非こういう写真を撮ってみてください、私こういうのが好きなんです。

 

それは私の作品が見たいんじゃなくてあなたがただそういう写真が見たいだけじゃないの

そんなの別に私の作品じゃなくてもいいんじゃないの

 

頑固だなあとか、過敏すぎるだろとか、思われるかもしれないけど、そうだったんです。

 

もしこの質問に正解があるとしたらこうだと私は思います

「あなたの文章以外の表現が見てみたいです。普段、文章以外の表現としてなにか作っているとしたら、それを見てみたい」

人からいただいた好意的な言葉を添削するなんて、サイテー、って自分でも思います。ごめんなさい。でもすごく考えることがあったんです。いっぱい文字を書きたい気持ちになりました。

 

私達にとって、何かを表現する時、その表現媒体が何であるかというところから表現が始まります。色や形が何かということは、もっともっとずっと先の話です。文章なのか、写真なのか、漫画なのか、イラストなのか、一口に絵だとしても、それが油絵なのか、日本画なのか、版画なのか、はたまたアニメーションか、デジタルイラストか、大概、表現媒体という物は必要が合って選ばれているからです、アニメーシションじゃないといけないからアニメーションという媒体で作られているんです。

だからまず、写真を見たい、と言われた時点でもうそれは、私の腹の底から生まれる何かを見たいという風には受け取れなくなってしまったんです。もしかしたら敏感すぎるかもと自分でも思います。だって例えば、あの子は絵がうまいらしいという噂がたったら、ついつい、こういう絵も書いてよ!と言いたくなるし、今度は色を塗ってとか、絵の具で描いてみたらとか、言いたくなるし、見たくなる。(そう言えば小学生の頃にクラスメイトたちにそう言われてとても困り果てた思い出がある気がします)

そういう気持ちは確かに私にもかつてありました。でも、美術をしている人たちをたくさん見て、あるいは自分もそういう人たちの端くれであると、一心不乱に絵を描いている人にむかって「ねーねー、今度こういう絵かいてよ!わたしそういうの好きなの」なんて、言えなくなっていたんだなー。と、気がつきました。クラスの中で絵がうまい子と、人生の中で美術をやっている人の違いは、そこにある気がしました。

 

もちろん、絵がうまい美大生にこんなの描いてみて!というのは何もおかしいことじゃない。私だって絵がうまい人が居たら、そう言いたくなります。でも、「あなたの表現が見たい」という意味で「こんなの描いてみて!」というのは、すごく、違う。敏感すぎるかもしれないけど、媒体や、画材、色、モチーフ、どの要素をとってもそれが本人が選んだ物でないと、私はその人の表現を見た、その人を見た、という気持ちにはなれない。だから、それと同じで、媒体、画材、モチーフ、全て私が、例え適当であったとしても、私が選んだ物じゃないと、それは私の表現を、私自身を見てもらったことにはならないんです。(そういう意味で言うとこのブログは、超私を見てもらってる感があります。作品ではないけど)

 

油絵を作品を描いている人に向かって

「普段どんな絵書いてるのかみたい!このクレヨンでうさぎ描いてみて!」

私が感じたズレは、大げさに言うとこういうズレだったんです。

 

 

  twitterやってます→@bijutsukei

 

おまけ。普段はポートレイトを撮ることが多いため載せられません〜。だからこれからはブログに載せられるスナップ写真もガシガシとるぞ〜〜

 

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