美術系女子の話

美術系女子の苦悩系ブログ/日記と怒り、セックスと家族

〜ゲスのあの人〜自分という主人公しか存在しない世界で生きている人達

あの報道について、個人的に感想

川谷絵音さんの不倫騒動をシラけた目で見ていました。不倫なんてどこにでもあるけど、人気バンド、ベッキー、隠れ既婚、うんぬんかんぬんいろんな要素がギュッと詰まって久々に濃いスキャンダルとなってる。

私もそれを黙って見ていたはものの内心超面白がっていました。今後どうなるのかな。今も面白がっています。だってちょーおもしろいもん他人事の不倫とか。

 

このスキャンダルについての報道をテレビで放送しているのを私は見かけたことがなくて、Twitterでの情報だけが細々と入ってくるだけでした。

ここ最近で新着情報として入ってきたのが川谷絵音の妻暴露3人目の女の存在。です。これが私にとってまた面白かった。

 

私は奥さんがこうやって暴露することには一介の女として賛成です。旦那が嫌いだとかそういうのではなくて、旦那が誰であれ賛成。だって傷ついたんだもの、他人には計り知れない傷だ、もう立ち直れないかもしれないぐらいのことをされて、自分の心を守ることなんて出来ない、不倫を平気でする人間はそれを指摘されたからといって傷は負わない。ヤベェって思ってるかもしれないけど根本的な問題はきっとわかってない。自分が何をしたのかということを、不倫する当事者はわかってない。俺たちの恋路を邪魔する社会が憎いとか、思ってんのかなあ。報道があってから、平気で奥さんに離婚しようなんて話を出来るのは、まだお楽しみの中から目が覚めきってない状態だからだと思う。正気の思考じゃない。

 

奥さんは不倫した旦那を傷つけることは出来ない、とくに常習犯ならなおさら。奥さんが負った痛みを彼に伝えることもできないだろう(彼はその痛みを理解できないから)でも彼に外傷を与えないと自分が保てないと思う。暴露すればいいと思う。暴露して、私たち部外者に彼に対する社会的な制裁を下すことを求めていい。それに意味があるわけじゃなくても。

 

当事者にしかわからない痛みを、推測することしかできない私達に

 

奥さんが新着情報として出してきた3人目の女の存在、正直そんなに大きいスキャンダルではなかった思うけど、「もしかしてもっと女がいるのかもこの男…」という疑惑をみんなに持たせる意味では地味だけど効果的な切り札だったと思う。ベッキーだってもしかして川谷から離れるかもしれないしね。少なくとも川谷サンの身方をぐっと減らせたと思う。

 

3人目の情報はこうだ。

alfalfalfa.com

 

私は別に不倫がどうこう言いたいんじゃなくて、川谷絵音氏の、この一人芝居を聞いて(もちろん報道内容の信ぴょう性は知らないけどそれは無視して、もし本当に川谷さんがこういう人間だったとしたらという仮説の話を今からします)

うわー!こういう人いるよなー!って思った。

結婚を目前にして、元カノから連絡が来て泣いてる??どうしたらいいかわからん???

お前はどこのメロドラマの主人公気取ってんだよと言いたい。現実が見えてない。全く現実の中で生きてる自覚がない。まじかよって感じ。

 

他人の居る世界で生きること

私達の視点は一つしかない。自分の顔についた目玉が映し出す視点だけだ。私は私が主人公の世界を生きてる。でも私だけしか人格を持たないロールプレイングゲームをしてるとは思ってない。私の周りにいる他人にも、その人にしか見えない自分が主人公の世界を生きてる。コンピューターじゃない。私と同じ血の通った心に痛点のある人間だ。私達は自分の視点しか見れないけど、目の前にいる相手や母親にも、その人主人公の世界とストーリーがあるということを、理解しながら他人と接しないといけない。そうじゃないとこういう川谷氏のような滑稽な姿を晒すことになる。

 

私達は他人の視点を見ることはできない。だから自分の経験や相手の反応からそれを推測する。思いやるって気を使うことじゃない。その人の視点を想像することだ。

 

自分の世界に陶酔してしまったベッキーや川谷さん、不倫ってそういうもんだし、こういう人を見てるとそんなに不倫って燃えるの!?ってちょっと不倫してみたくなっちゃうぐらいだけど、奥さんはロールプレイングゲームの中の登場キャラクターじゃないのに、自分だけが主人公の世界で生きてるとこんなことになっちゃうんだ。他人を罪悪感無く傷つけられることができちゃうんだ。

 

本当に自分以外の人間の存在、奥さんの存在がきっとバーチャルにしか見えてないんだ、だから「元カノに好きっていわれた、どうしたらいいの」なんていう一人芝居が恥ずかしげもなく出来るんだ。もしそこで少しでも、奥さんの立場を推測するという人間として当たり前のことが出来ていたら、そんなことになるわけない。川谷さんの流してる涙は、奥さんを思って出た涙や罪悪感による涙じゃない、自分のための涙だ。「結婚しているのに、元カノに迫られる俺・・・いったい、どうすればいいんだ!俺!」そういう涙だ。自分による自分のための自分の涙だ。正気の沙汰じゃない。

 

恋愛で、すれ違ってきた女の子達をただの自分の恋愛ゲームの中のキャラクターだと思ってる人っている。もちろんそんな人にとって嫁もドラマの中の脇役にすぎない。自分のドラマの引き立て役だ。俺の選択によって泣いたり怒ったり喜んだりする。生身の人間の反応ですら自分のドラマのささやかな演出程度にしか認知出来ていない。世界には自分の感情しかないと、思ってる。そこには他人の感情の存在なんて無い。

 

結婚しているのに元カノから連絡がくるなんてなんてドラマチックなんだろう、泣き崩れる俺、ドラマだ。悲しむ嫁、怒る嫁、ドラマチックだ。画面いっぱいに写る泣き崩れる自分の姿、感情的になっている嫁は画面の隅っこでそんな俺のワンカットを引き立てる。

もし本当にこれが映画だったら成立するかもね。観客に見せたいものが1人の主人公の感情だけであるなら。でも本当の世界は違う。そういう人には一度パルプフィクションでも見させれば理解してもらえるのかしらとか言いたくなっちゃうよ。

 

いやーーーーーー、ほんと、こんな人間と関わったらたまったもんじゃねぇなあ。

 

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