美術系女子の話

美術系女子の苦悩系ブログ/日記と怒り、セックスと家族

私が描く文章について

しばらくずっと、セックスについてのことしか書いてなくて、そんなつもりではじめたブログではないなと思い出した。タイトルだって別にヤリマンとか書いてないし、

 

たくさんの文字を使ってセックスを大げさに肯定し続けてしまったしこれからもし続けるけど、別に、人間関係においてセックスが絶対的な力を持つなんて事はないって私はよくわかっている。わかったうえで、でも私にとって最も強いコミュニケーションはセックスであるから、私はセックスセックスと騒いでいるだけだ。それを誰かが読んでセックスしなきゃいけないという億劫な気持ちになられたりはしたくなくて、私にとってのセックスが、誰かにとっては食事だったり、デートだったり、喧嘩だったり、会話だったり、貢ぎ合いであったりする。それはおかしいことじゃないし、むしろ今まで男性とコミュニケーションをとってきた時間の9割はベットの上だった私の方がものすごく極端でおかしい。

そんな私がセックスを肯定したいのは、当たり前で、このブログは誰かにセックスを説くように見せかけてただ私のいろんな自意識をなでつけているだけだ。でもうわ〜自意識なでつけてる〜〜〜うひゃあ〜〜なんて考えながら書いていたらこんな場所ではなにも書けないし、自分が思っていることが今この世の真理であるかのように自信たっぷりに書かなければ、何も言えない。これが真理だ!と本当に思っている訳じゃない、ただ一つの塊として何かを吐き出す時には、そういう形態が必要だった。

 

だから別に、セックス宗教をひろめたいわけじゃない。ただこうやってセックスばっかしてる女の記事を読んでおもしろがってもらえればそれで良いし、ポジティブな影響があればもっと嬉しい。

そもそも人が話すことなんて、自分に当てはまる訳がないんだから。都合の良いところだけ都合良く受け止めれば十分だって思っていてほしい。

 

高校生の時に処女を喪失してから5年間、私はセックスをずっと文字に書き起こして来た。もちろん前戯の内容を箇条書きにしているとかではなくて、ただそのときの自分を書いていた。言い方を変えれば、書かずにはいられないような状態でのセックスがほとんどだった。それがポジティブなことなのかネガティブなことなのかは自分でもよくわかっていない。(本当はわかっている)

ただセックスをして、何も考えない人もいるだろう、好きな人とセックスをして気持ちよかった、あーほんとうに私達ってラブラブ。来週は水族館にデートだ。私はそうじゃなかった、セックスをするたびに膨大な文字を吐き出して、それがきっと今も部屋のどこかに突っ込まれたままの何冊ものノートの中や、もうURLも思い出せない白い背景のブログにしきつめられている。私はそれを見せびらかしたい訳でも、哀れんでほしいわけでもない。ただ頭の中にいつの間にか湧き出て、USJのあの地球儀のようにぐるぐると頭のなかで回転する文字たちを、書かなければ消すことができない。

そして自分の中で回転する多くの言葉がセックスで、私の身近な20年そこそこの時間の中で、性がくすぶっている。その状況がただただ続いているだけだ。セックス仙人になったわけじゃないしセックスカウンセラーを気取りたい訳じゃない(気取っていたらごめん)

 

今のブログってなんか人に説く系が流行ってるしそういう口調をつかったらウケるんだなって思って意識していたところは存分にあるし、その書き方が逆に自分にとっても良かったりもする。でもあくまで私が自分のことをつらつらと書く時、(叙情的だったりネタっぽかったり)それはあくまで真実でもなんでもなく、そのときの私の思考の断片でしかない。書いたけどその後やっぱ違ったわって思うことなんてクソ程あるし、高校生の時のブログを読んだらまったく今は説教したい気分になるかもしれない。

でも私が書く私についての文章の根底は、私自身の感情や状態を、自分で汲み取っていく作業でしかない。だからそこには真実があるわけでもなければ、ただ一介の女がつらつらと自分のメモ帳を更新しているだけだ。散々言っといてそんな無責任なと言われるかもしれないけど、世の中にあふれてる文字のほとんどは、責任の無い、誰かの吐きだめだ。私の言うことに影響力が生まれたらそれはすごく嬉しい、それがポジティブな影響であったらもっと嬉しい、でもネガティブな影響を及ぼしてしまうことは望んでいない。それを避けたいと思ってこれを書いた。

私の書くこと、たとえそれがあたかもセックスカウンセラーの口調や、はてなブログっぽいようなネヴァーまとめっぽいような口調にすり替わっていたとしても、それはただ私1人の断片でしかない。それをわかった上で、読んで欲しいと思った。

 

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